備忘録。

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧




ちょっと早すぎるくらい早いけど
1年の振り返りを。

2019年は、生命と出逢いの1年でした。




年始はまだ、看護師になる!って
はっきりした気持ちは全然なかった

お母さんの脳死肝臓移植のドナーが
年始早々見つかったんだけど
移植コーディネーターさんからの電話に
お母さんも叔母さんも気付かず
話が流れてしまって、、そんな年明けでした


なんで、移植コーディネーターさんからの連絡が
あたしに来るようになってないのか
あたしがそんなに頼りないのか、信用出来ないのか
本当に本当に悔しすぎるくらい悔しくて


お母さんの病気が発覚して
お母さんに内緒で主治医のところに
病気についての話を聞きに行ったりして

移植しか助かる方法ないって分かって
あたしの肝臓あげるよ!!ってずっと言ってた

20代前半の、結婚もしてない娘の身体は
傷付けられないって母親に断られた

母の移植手術を誰よりも1番に望んでたから
移植の話が流れたのは本気で本気で悔しかった



母親が九大病院に入院になって
観察室から普通病棟に移って、ちょっと安定した時に
母が『 ケーキが食べたい』と。

西区に引っ越して間もない頃だし
ケーキ屋さんなんて知らなかったけど
色んな人に美味しいケーキ屋さんないか聞いて
お見舞いの時に持って行って。

4つ買って行ったのに、
お母さん2つも食べちゃって(笑)
本当に病気なのかな?笑

って思ったのも、一瞬で崩れ去りました


夕方、夜ご飯の時に
ケーキは自分で食べれてたはずなのに
ご飯を食べにくそうにしてたから
あたしが慣れないけど食事介助したんだ

それがいけなかったのかな?

母はそれからほぼ危篤状態になりました



誤嚥性肺炎、気道にモノが詰まることによって
引き起こされる肺炎と肝性脳症が出てしまって
ドナーが見つかるが先か、母の死が先か



毎日、11時から20時まではお見舞い
21時から1時までは夜の仕事、

その時働いてたお店には本当に融通してもらって
本当に感謝はしてるんだけど
後輩のことで朝までミーティングとかもあったりで
寝る時間、ほんとに全くなくて
お母さんのお見舞いの時に寝てたりしてた


身体も精神も本当にボロボロなってて
そんな時に気持ちを救ってくれたのが
九大病院の看護師さんでした

お母さんがどんな状態だろうと
あたしを見かけたら笑顔で
『 樹璃さん、こんにちは~!!』って
本当にそれだけなんだけど挨拶してくれて
本当にそれだけなんだけど、救われました

この看護師さん居なかったら
あたしのメンタル本当に崩壊してたし
仕事で一切顔に出さず笑うことなんて出来なかった

だから、看護師のお仕事っていいなって。
特別な言葉じゃなくても、人の心って
救うこと出来るんだなって。



母の容態はどんどん悪化する一方で
普通病棟から観察室、観察室からICU

自発呼吸も出来ずに、機械で呼吸させられてる母親に
会いに行くのが辛すぎて、本当はお見舞い
行きたくなくなってたんだけど

担当医から、『大事な話があります』と電話があり
嫌な予感しながら病院に向かって、母親の顔を見て
先生に呼ばれるのを待ってたら

『ドナーが見つかりました』と。


でも、ドナーの方はふくよかな男性で
もしかしたら脂肪肝の可能性もあると

九大病院の先生たちが直接見に行って
状態を確認するまでは何とも言えないけど
このチャンスを逃せば、お母さんの命は
3日も持ちません。今日呼び出したのは
お母さんの余命が残り僅かなことを
お伝えするためでした、と。


その場に居たのは、あたしだけで
決定権はあたしにあって

怖いよね、
人の命の決定権があたしにあるなんて。


移植をする際に、ドナーが脂肪肝だと
失敗する可能性が高いことは知ってて
でも、ここでやらなきゃってお願いして
移植手術をしたのが、3月13日。



3月17日に意識回復してくれて
順調に回復してくれることを願ったはずなのに
4月14日には、横行結腸に穴が空いた為に
また手術となってしまって。

もう、あたしもメンタルずたボロすぎて
むしろ仕事で笑うしかなかった
そうでもしてないと、本当に自分が崩れそうだった


仕事で出逢ったお客様とかにも
お母さんのこと話してた人も居て
そういう人たちに助けられながら
母のリハビリを一緒に頑張って


なんか、この時もお客様に助けられたんだよな、、


おかげさまで今は母もだいぶ回復して
普通の生活であれば、1人でも大丈夫そうです

前半の半年は、生きることと死ぬことの
両方を考える毎日でした


母が今、生きてくれてるからあたし
こうやってブログ書いてるけど
母が死んでたら、あたしここに居ません絶対



୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧


6月以降、本気で看護師になるために
というか、

元々は看護師になれれば良かったんだけど
目標が変わってしまって

九大病院の看護師になりたい!
という夢に変わったので大学受験せねばならず

(専門からでも行けるけど、専門から
九大病院に入職出来るのはひと握り)

ってことは、思ってた以上に費用もかかるし
ってことで、中洲で働くことにして



色んな出逢いがありました

お客様との出逢いはもちろんだけど
女の子たちもスタッフさんたちも



良くも悪くも、
出逢えば別れるのは必然だと思うんです

でも、別れるまでの間にどれだけの
関係性を創っていけるのか
そこが1番大事なんだろうなと思ってます

気にかけてたあの子も
本当はあたしに気にかけられるのは
迷惑だったかもしれないし
今となってはそれは分からないけど

繋がってる縁もあれば切れてる縁もあって
それはそれまでだったってこと

冷めてるのかもしれないけど
でも、あたしはそういう見方しか出来ない

あたしのことを悪く言う人も居れば
良く言ってくれる人もたくさん居て

あたしは、その
自分を悪く言う人の意見は耳に入れつつも
基本的にはスルーで

自分が悪いなって思うとこだけ
しれっと軌道修正していければなと
そういうタイプです



あたしのことを大事にしてくれる人は
あたしもその分、何十倍も何百倍も
大事にしたいと思ってます

このスタンスは一生変わらない